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Posted by naturum at

2011年05月09日

芦田湖オートキャンプ場②(広島城・大和ミュージアム)

☆★☆ 2011.4.29~2011.5.3  芦田湖オートキャンプ場へ行ってきました。☆★☆


芦田湖オートキャンプ場①(到着~設営)⇒ こちら



GWキャンプ初日は渋滞やらなんやらで到着が遅れてしまったので、設営後はキャンプ場で昼寝をしたりして
のんびり過ごしました。

夕ご飯、父ちゃんは炭をおこしてシシャモを焼きながら焼酎をチビチビ(チビチビ?グビグビか?!)



それ以外は仕入れてきたお寿司やら出来合いのお惣菜で簡単にすませました。
ご飯を食べるころには外にいると寒いくらいに冷えてきたのでレインボーと武井を点火。





夜は少し焚き火も楽しんで早めに就寝。



2日目はお天気が悪くなる予報だったので早目に行動開始。
広島市内に向けて出発~~!! 広島の路面電車、今風ですね~



到着したのは、広島県広島市にある広島城(別名 鯉城<りじょう>)

広島城のHPはこちら

広島城詳細
それまでの毛利氏の居城・吉田郡山城は尼子氏の大軍を撃退した経験を持つ堅固な山城であり、また山陰・山陽を結ぶ場所に位置するため、領土の争奪戦を伴う戦国時代の毛利氏には適した位置であった。しかし、天正末期になり、天下が安定する頃になると、中国地方9か国120万石の太守であった毛利氏に吉田郡山城は政務所としても手狭なものとなり始めた。また吉田郡山城は山間部にあり、商業の中心地としては不適切であったことから、海上交易路である瀬戸内の水運が生かせ、城下町の形成が可能な平野がある海沿いへの拠点を移動すべきという意思もあった。一説には永禄年間(1558年-1569年)の輝元の祖父・毛利元就のころから現在の広島の平野部への築城構想はあったという。

1589年(天正17年)、二宮就辰らの指揮の下、ついに築城が開始された。広島築城は川の中州の埋め立てと、堀の浚渫が初段の大工事となった。城の構造は大坂城を参考とし、近世城郭として築城された。縄張りは聚楽第に範を取っているといわれる。軟弱な三角州地盤に築城したため、石垣の重量を分散させる工夫がなされている。また、堀は三重に巡らされ、馬出を多数備える実戦的な城構えであった。この築城は同時期に進行しつつあった豊臣秀吉の朝鮮征伐の後方基地としての期待もあり、秀吉は築城技術のサポートとして側近の黒田如水を派遣し、自らも建設中に広島城に滞在したという話も残る。

完成当初は当時の大坂城に匹敵する規模の城だったといわれるが、関ヶ原の戦いで減封されて広島を去った毛利輝元に代わって城主となった福島正則による改築があり、築城当時の広島城がどのような姿であったかについての詳細は不明である。

関ヶ原の戦いの後、1600年(慶長5年)に福島正則が毛利輝元に替わって広島城に入城。この時代に、それまで二葉の里付近から城の北側を通っていた西国街道を、城下の南側を通るように付け替えるとともに雲石街道を整備した(一説には毛利輝元時代)といわれ、町人町が拡大した。しかし、幕府に無届けで修築したためそれをとがめられ、二段にしてあった本丸の上段石垣を破却している。これは現在でも確認できる。

結局、福島正則は1619年(元和5年)に改易の憂き目を見ることになり、以降は浅野氏の居城となった。

浅野藩政時代の広島城は内堀・中堀・外堀のある約1キロメートル四方の広大な城であったが、明治維新後には1911年(明治44年)に外堀が埋められ、さらに原爆の瓦礫で中堀が埋められて現在の規模になった。広島市内の「八丁堀」、「薬研堀」などの地名は堀があった名残である。八丁堀は約8丁(約880メートル)あった東側の外堀にちなむ。また市内の庭園「縮景園」は、元々は城内だった。外堀は南側では現在の相生通りの南半を東西に走っており、現在の紙屋町西交差点あたりに大手門があった。北端は現在の城北通りであり、外堀の水は三篠橋付近の本川(旧太田川)から引いていた。

Wikipediaより







お城見学を終えて次は、父ちゃんが前から行きたいと言っていたところ。

呉市海事歴史科学館 大和ミュージアムです。



中心の大和ひろばには、10分の1戦艦「大和」が展示されています。





展示物や資料などじっくりみてみたいのですが、人が多くなかなかゆっくり見ることができなかったのが残念。。。



隣には、海上自衛隊呉資料館 てつのくじら館



こちらは時間もなかったので見学できなかったのですが、大和ミュージアムもてつのくじら館も今度は平日の
人の少ないときにもう一度、見学してみたいね。と言いつつ呉を後にしてキャンプ場へ戻りました。
  

Posted by mayumi at 18:27Comments(5)広島県のお城